【神戸市灘区】毎朝6時・7時ラジオ体操実施されています!六甲山の中腹にある『一王山 十善寺』裏山で見たことない光る海に出会えました(≧▽≦)

灘区の掲示板に「一王山 十善寺」で毎日ラジオ体操を実施!ラジオ体操は、朝6時~・7時~2回実施。という掲示をみてから、気になってた六甲山中腹のお寺毎日実施されているというラジオ体操に参加して来ました。

ラジオ体操

毎日ラジオ体操が実施されているのは、六甲山の中腹に鎮座するお寺「十善寺」徒歩で阪急六甲駅から20分。JR六甲道駅からは30分程度。

2020年12月5日(土)7時からのラジオ体操に参加しようと、阪急六甲駅6時20分スタート!阪急六甲駅そこから、歩いて「十善寺」へ向かいました。

いつもは車通りの多い「高羽線」もほとんど車が通っていません。六甲高羽交差点 歩道橋から撮影したものです。朝焼けがきれい!高羽交差点 歩道橋高羽交差点 歩道橋を渡ってさらに山へ!「十善寺」看板は、バス通りの目につくところにあるので、見たことがある方も多いかも。十膳寺この看板が見えたら、バス道を離れて、川沿いを歩いていきます。十善寺この辺りになると、ラジオ体操に参加されるのでは?と思われる人を見かけます。結構な坂です。おじいさんに抜かされてしまいました…。十善寺一王山 十善寺』到着!すでにこの時点で、達成感一杯!十善寺

 

臨済宗永源寺派

一王山 十善寺縁起

 当山は後冷泉天皇の御宇、天喜五年(1058年)に信覚大師の手によって創建されたもので往時には七十三の僧房と七堂伽藍を擁し、又、景勝の地の利も得て、まことに壮観であったと伝えられています。 その後、兵火に遭遇し、総てを灰儘に帰するところとなりましたが、禅宗の高僧、宇光寂室禅師はこれをたいそう惜しまれ、諸堂や十三院を造営されました。
 ところが、天正年中(1573~1592)織田信長の兵火でまた堂宇は焼失の憂き目にあい現在の寺観は、元禄の高僧、永源寺・仙霊祖竺禅師の志を継いだ、高羽の楠本三左衛門高重によって寛文五年(1665年)に再建され、宝暦十一年(1761年)に呑海禅師が来てから完成されたものであります。御本尊には十一面千手観音菩薩を安置し、脇仏として弘法大師を、又、諸天皇を祠っております。
  最初の兵火と伝えられるのは、元弘三年(1333年)赤松円心(則村)が播磨国から攻め上がり摩耶山城によって京都の北条軍を悩ました時で、円心が十善寺を戦いに利用したため、この地方は戦場となり寺が焼かれたのであります。それ以後、寺はもとの地(六甲ケーブル山頂駅東南、油コブシ付近)から現在の地へ 移ったと言われています。
 一王山と言う山号は、もと寺の南の地名であった一の尾から由来しています。この一の尾を一の王にとって山号とし「王は十善、神は九善」という所から寺号を十善寺と称しました。
 背山には八十八ヶ所の霊場があり、毎月二十一日にはお大師様の日としてお供養しております。

一王山十善寺毎日登ってきていたら、それは健康になりますよね~。十善寺・登山

お寺の横にある「一王山登山會舘」という建物で、ラジオ体操参加のスタンプを押してくれるようです。

窓口ラジオ体操スタンプ帳は1年ごと。私は、もう2020年度中に参加はしないだろうとお断りしたのですが、作成していただけました。ラジオ体操

さて、時間になってラジオ体操開始

ラジオ体操第一に続いて第二の時と神戸体操の時があるらしく、この日は、神戸体操。ラジオ体操をちょっとアクティブにしたような動き。見よう見まねでついていけるレベルです。すっかり撮影するのを忘れていて、最後に慌ててその場で撮影。参加者は50名ぐらい。夏場100名を超える人数になるようです。

ラジオ体操後には、十善寺の森という15分程度でまわれる裏山があると聞いて登ってみました。十善寺の森88箇所巡りが出来るらしく、あちらこちらに石仏が鎮座。山道整備がされているものの完全に登山道。十善寺の森海が見晴らせるビューポイント!なんと、海が金色!!神戸

「朝日があたって海はいつも金色なのよ。今日は、靄がかかっていて遠くまで見えないけど、晴れているときは、和歌山まで見えるのよ…。また、ぜひ来て見て欲しいわ~」と、年配の女性に声をかけられました。

十善寺

見どころいっぱいの一王山 十善寺!
素敵すぎて一度では、良いところをお伝えできないので、内容を分けてアップします。今回は、ラジオ体操&裏山編でした(≧▽≦)

一王山 十善寺はこちら↓

よんたん

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