【神戸市東灘区】阪神御影「大手筋商店街」、遂に全店舗閉店。入口には蓋が設置され、高架下商店街の歴史が一つ幕を閉じました。

阪神御影駅の高架下御影市場の西側に位置する「大手筋商店街」で営業されていた鮮魚店「近江屋」さんが閉店され、ついに商店街のすべての店舗が閉店しました。 

年が明けた2026年に現地を訪れてみると、商店街の入口には蓋がされており、かつて地域の台所として親しまれた商店街は完全に姿を消していました。

【神戸市東灘区】阪神御影「大手筋商店街」、遂に全店舗閉店。入口には蓋が設置され、高架下商店街の歴史が一つ幕を閉じました。

「大手筋」の名は御影城の大手門に由来

大手筋商店街」という名称は、なんとこの地に存在した御影城(戦国時代の城郭)の大手門に由来するものだそうです。

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阪急御影駅の山側には、「御影城跡」と刻まれた石碑が建てられており、そこには興味深い説明が記されていました。

石碑によると、『摂津志』には「御影村城・平野氏拠城」と記されており、近世には「大手筋」「城前」といった地名が存在していたとのこと。城の地勢は、西に石屋川や新田川を堀とし、東に深田池や天神川を城堀として、その間の台地の上に城地を構え、大手筋で山際へ通じていたそうです♪

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なるほど、言われてみると御影には「城ノ前」というバス停や「大手筋」というバス停など、城にちなんだ地名が今も残っていますね。

西国街道と御影中学校に残る歴史

御影中学校の校門前には、歴史を感じさせる大きな黒松が今も残されています。

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この松は「西国街道の松」として知られ、昭和51年1月12日に神戸市の「市民の木」第31号に指定されています。

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説明板によると、平安時代の大路とされた山陽道は、都と九州・大宰府を結ぶ古代国家の大幹線道路でした。鎌倉時代には衰えたものの、江戸時代になると西国と畿内を結ぶ交通路として大いににぎわい「西国街道」の名で親しまれました。この老松は、大名行列が通ったこの街道の面影をわずかに残す並木の一本だといわれています。

【神戸市東灘区】阪神御影「大手筋商店街」、遂に全店舗閉店。入口には蓋が設置され、高架下商店街の歴史が一つ幕を閉じました。

高架下に移転して形成された商店街

そして「大手筋商店街」は、もともとこの御影中学校横の大手筋という道に点在していた店舗を、阪神電鉄の高架下に移転させて形成された商店街だったそうです。

【神戸市東灘区】阪神御影「大手筋商店街」、遂に全店舗閉店。入口には蓋が設置され、高架下商店街の歴史が一つ幕を閉じました。

御影市場も続く閉店と移転の波

一方、隣接する御影市場については、令和7年(2025年)10月31日付で理事長名による「来年も、市場として営業いたしますので、今後とも、変わらぬご愛顧のほど よろしくお願いいたします」との張り紙が掲示されていました。2026年も営業を継続する意思が示されたかたちです。

【神戸市東灘区】阪神御影「大手筋商店街」、遂に全店舗閉店。入口には蓋が設置され、高架下商店街の歴史が一つ幕を閉じました。

しかし実際のところ、御影市場もここ数年で閉店や移転が相次いでおり、営業している店舗は確実に減少しています。

【神戸市東灘区】阪神御影「大手筋商店街」、遂に全店舗閉店。入口には蓋が設置され、高架下商店街の歴史が一つ幕を閉じました。

今後の阪神御影高架下がどのような変貌を遂げるのか…、また進展があればご紹介したいと思います。

【神戸市東灘区】阪神御影「大手筋商店街」、遂に全店舗閉店。入口には蓋が設置され、高架下商店街の歴史が一つ幕を閉じました。

大手筋商店街
住所
阪神御影駅高架下 西

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