【神戸市】これはテンション上がる!!『海軍操練所跡第1次調査現地説明会』で、遺構を見てきました(≧▽≦)

2024年1月13日・14日に開催された、『海軍操練所跡第1次調査現地説明会』に行って来ました!!

【神戸市】勝海舟が進言して出来た『神戸海軍操練所と考えられる遺構』現地説明会 1月13日・14日に開催<予約申込開始>何の発掘調査か気になってました…。

参加させてもらったのは、14日の11時30分~。説明会に参加が出来るのは、事前に予約をした人のみ。受付を済ませると、資料が手渡されました。海軍操練所跡第1次調査現地説明会

神戸市文化スポーツ局文化財課より、簡単な説明が行われました。

それによると、今回訪れた場所。遺構場所は、旧生田川の河口で明治時代初期の神戸港開港時に第一波止場と称された場所だそうです。

海軍操練所跡第1次調査現地説明会

遺構は、幕末期から明治時代にかけての神戸港の開港・築港の変遷に伴うものでⅣ期に分けて案内板が表示されていました。

第Ⅰ期=開港以前(1868年の開港以前)の遺構(海軍操練所)
第Ⅱ期=開港時の築港遺構(初期神戸港第一波止場の港湾施設)
第Ⅲ期=明治時代中期以前の道構(神戸港第一波止場の修築整備)
第Ⅳ期=明治時代中期以降の遺構(神戸港第一波止場の拡張整備)

第Ⅰ期が、一番古い防波堤はほとんどが花崗岩製で構築。石の積み方や表面の調整などの特徴から、神戸港開港以前の幕末期ということが想定される石積みということから、幕府による海防強化の目的などから、1864(元治元)年に、勝海舟により建設が進められた海軍操練所に伴う遺構と考えられるそうです。


同じ場所で、違う時代のものが検出。これにより、幕末期に築造された防波堤を利用して、その上に新たな防波堤を築き港を拡充させていったことが推測できるそうです。ちなみに、幕末期に開港した五都市(神戸・函館・横浜・新潟・長崎)において、幕末期から明治時代にかけての築港に伴う遺構が重層的に検出できたのは初めてのことだそうです。今まで絵から想像するしかなかった港が、この遺構の検出により時を越えて現実にあったものとして、私たちに姿を見せてくれたということなんですね…。遺構場所は、阪神高速が通るすぐそば。海軍操練所跡第1次調査現地説明会

撮影した写真の奥には、オリエンタルホテルホテルオークラが写っています。

説明会は30分刻みの入替制。学芸員の方の説明を聞いたり写真撮影をして、ほとんどの方が、時間いっぱいまで滞在されていました。
人がばらけてきて、帰る前になって、最初に待っていた場所に、日本山海名産図案(国立国会図書館デジタルコレクションより)が掲示されていることに気がつきました。この日本山海名産図案の絵に描かれている手法で削った石であることが判明。今回の遺構では、陶磁器などの遺物が出て来ていないので、時代を決める決め手の1つが、この石の削り方だそうです。幕末時代が好きな方にとっては、堪らないイベントとなったのではないでしょうか? 今回のイベントは、『海軍操練所跡第1次調査現地説明会』。さらなる調査後の2次説明会を楽しみに待ちたいと思います♪

よんたん

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